群馬県の温泉街として賑わう「伊香保」(いかほ)。
ちょっと風変わりな地名ですよね。
これ、果たしてどんな意味が込められているのでしょうか?
伊香保温泉旅館協同組合のHPによると、以下のように説明されています。
イカホの名前の由来ですが、その語源は、アイヌ語のイカホップ(たぎる湯)からきているとか、上州名物のイカヅチ(雷)と、燃える火(ホ)と関連がある等と伝えられています。
「イカホップ説」と「イカヅチ+ホ説」。
う~ん。あくまで素人目線での所感でしかありませんが、正直懐疑的です。
仮に「イカホップ説」であれば後半二文字の「ップ」はなぜ添削されてしまったのか?
「イカヅチ+ホ説」に関してはもはや、適当にとってつけた様な印象が否めません。
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「草津」「大津」「吾妻川」「渋川」?多数の共通点から見出せる地名の由来。
前提として、これからお話する内容は、考古学的な確たる根拠に立脚するものではなく、
インスピレーションに基づいた、取るに足らないトンデモ説かもしれません。
しかし今回「伊香保」と「ある地域」近隣の地名を照合してみた結果、驚くような事実が浮かび上がってきたのです。
二つの地域には多くの共通点がみられ、これが単なる偶然と果たして言い切れないはずです。
発見したからには胸の奥にしまいこんでおくのも勿体ないので、アウトプットしなければ。
ということで、まずはグーグルマップのキャプチャをご覧ください。
こちらは群馬県の「草津~伊香保」一帯の上空写真。
少々見づらいかもしれませんが、地図の右下に記した青い〇の場所が「伊香保」。東側に「渋川市」がみられます。
続いて赤い〇が日本一の湯量で知られる温泉地「草津町」ですね。
そこから少し南下したところの黄色い〇が「大津」という場所です。
そして大津の沿線である国道145号に平行して「吾妻川」が流れています。
川に沿って東に進むと川の名称に因んだ「東吾妻町」があります。
琵琶湖周辺
そしてこちらは、「琵琶湖周辺」のマップです。
琵琶湖北端のすぐ東側に示した青い〇は「伊香具」という地域です。
赤い〇は地図に表記のある通り「草津市」、
草津市内には「渋川」という地名が存在します。
そして、西みえる黄色い〇は「大津市」
この「大津市」を通り、やがて琵琶湖にまで水を運んでいるのが「吾妻川」です。
はい。これでおおよそ僕の言わんとしていることは見えてきたかと思います。
更に、この「伊香具」地域内の「伊香具神社」の裏手には「賊ヶ岳連山」がそそり立っていて、
この山々を万葉集では「伊香山」と称されているそうです。
「伊香」という表記を用いている地名は、他には福島県に一カ所あるのみなので、これを除けば日本ではこの二箇所のみとなります。
大津は古来から、東海道と中山道が丁度交わる、交通の要所として栄えてきました。
中山道は関西と関東を結ぶ、主要な街道です。
実は中山道をずーっと東に進んでいくと、諏訪湖を過ぎた辺りから北上して、
先の黄色い〇で示した群馬県の「大津」の少し南辺りまで通じているのです。
草津の湯畑の周りにある柱には、昔にこの地を訪れた数々の著名人の名が刻まれており、
更に歴史を紐解いていくと、なんと「ヤマトタケルノミコト」の名まで挙げられるのです。
「吾妻」という地名も「ヤマトタケルノミコト」が「我が妻」と言ったことが由来という有力説があり、
そうした逸話からも、この群馬県の地域一帯は平安時代よりもっと前から、中山道を通じて文化の流入があったことが大いに推測されます。
「伊香保」には「保つ」という字が含まれています。この漢字が有している意味を率直に受け取るならば「伊香」を「保つ」という意味にとれるわけです。
「伊香」というのは、昔「伊香具」辺りの琵琶湖北部地域一帯を取り仕切っていた豪族「伊香氏」に由来するもので、
当時の支配層の名族なのです。
伊香保に鎮座する「伊香保神社」の創建は古く、西暦825年。旧本社とされる三宮神社は750年。
その近くの「榛名神社」はもっと古く、なんと用明天皇の時代で、西暦586年の創建です。
すると何となく年号と地名から、そこに込められた真意なるものが浮かび上がってきます。
その昔。伊香氏が権力を振るっていた時代に、文化の発祥である西国から中山道を通って東国の地を訪れた権力者たちが、
未だ名の無い地域を、先を争って命名していったのが大元の由来なのではないかと。
もしかしたら伊香氏は、やがて豪族としての地位を失うことへの懸念を懐き、
その存在を長く後世に残しておきたい意図から、東国の地にその名を刻んでおきたかったのかもしれません。
コメント
自分の姓のルーツを調べている中で、こちらの記事にたどり着きました。
とても興味深い内容でした。
私としてはこの「伊香保の由来」説は、トンデモではなく真実に近いと感じざるをえません。
以下、その理由です。
私の祖父の家は渋川市の10kmほど南にあり、伊香保温泉へは幼少期に家族一同で何度か訪れた記憶があります。
我が家の姓は「東野(ひがしの)」。
東野(ひがしの・とうの)姓は滋賀や大阪・兵庫を中心とした関西に多く分布しているようなのですが、なぜか群馬の祖父の住むエリアの周辺にも孤立して分布しており、長い間不思議に思っていました。
調べてみると、東野氏は清和源氏の末裔の豪族で、出身は現在の滋賀県長浜市余呉町東野との説が有力とのこと。
滋賀や大阪・兵庫など関西に多く分布する東野姓は、おそらく滋賀の東野氏の末裔。
関西出身のお笑いの東野幸治さんや小説家の東野圭吾さんなども末裔なのかもしれません。
ではなぜ群馬県なのか。
先述の東野氏の出身地とされる滋賀県長浜市余呉町の旧名は、近江国伊香郡余呉庄。
伊香の豪族であった東野氏の一部が、伊香に由来する伊香保に渡ったと考えられるのではないでしょうか。
水戸黄門役で知られた俳優の故・東野英治郎さんの出身は群馬県北甘楽郡(現:富岡市)。
伊香保温泉までは直線距離で南に30kmほどのエリアです。
東野英治郎さんのお父様は近江出身とのこと。伊香の東野氏の末裔かもしれません。
そのお父様は単身群馬に渡り酒造家になり、その息子が東野英治郎。
なぜ近江の人が単身渡った先が群馬なのか。
ここでも近江の伊香と群馬の伊香保の関係が浮かび上がってきます。
お父様は群馬の東野氏の遠縁を頼ったのかもしれません。
以上です。
散文・長文失礼いたしました。
我が家には由来がわかるものは何も残っていないのため、自分のルーツの手がかりが掴めたと感じたこともあり、少々興奮してしてしまいました。
ひがしのさんへ
初めまして!コメントありがとうございます。
なるほど、これも全く偶然とは思えませんね。かなり信憑性の高い裏付けになるかと。こうなるともう仮説とは言い難いレベルですね。
興味深いお話を聞けて良かったです。なんだか確信が湧いてきました!
初めてコメントします。
私も、群馬の伊香保と、琵琶湖に繋がりを感じていました。
私は、琵琶湖に嵌っています。
群馬までは行けないので、あなたのブログに興味を持ちました。
吾妻川までは気が付きませんでした。
このイカの一族は、伊賀とも語源を共にします。
伊賀から続いているのが東山道で、その道を使って最澄や、慈覚が天台密教を伝えて行きました。その道を辿るとヤマトタケルの臼が点在します。
何らかの結びつきがあるはずです。
琵琶湖の伝説や古来の歴史などを見て行くと、私達が習わなかった日本史がありました。
この伊香の名前は、藤原秀郷を源流とする説もあり、この人物の伝説を見て行くと、
伊香の複雑で不思議な繋がりが見えてきました。
平家の厳島神社の八咫烏と、イカの伝承を紐解くと、沢山の不思議が見えてきます。
イカが、何故、烏賊(イカ)と書くのかも理解出来ることでしょう。
これを知るには厳島神社、烏のたどり着く先、そこにある伝承や、信仰のを結びつけて行く必要があります。
豊臣秀吉が、大阪城を何故、あの場所に築いたのかも関わってきて、素性も見えてきます。
これを、紐解き進めると、もっと壮大なストーリーが見えてきてきます。
私も、その紐解きの途中です。
これからも、伊香について何か情報が有りましたら、是非、お知らせ下さい。
「パオンのブログ」に書き記して来ました。
是非、ご来店のほど。